日本歌謡のオノマトペー

(「昭和歌謡の風景」予告編)

山形

最上川舟唄

ヨーエサノマッガショ エンヤコラマーガセ
エエーヤエーエヤエー エエーエヤエード
ヨーエサノマッガショ エンヤコラマーガセ

 ここで気になるのは、「マッガショ」と「マーガセ」だが、これは「まかそう」「まかせ」というふうに聞こえます。あっているかどうかは別として、これは櫓を漕ぐかけ声です。
 この曲の成立過程は詳細にわかっています。というのも、かのNHKが関わっているからです。

 昭和7(1932)年、NHK仙台放送局は「最上川を下る」という番組作成にあたり、最上川左岸の、舟の中継地として栄えた左沢(あてらざわ)に住む渡辺国俊に唄の相談をもちかける。渡辺は同地の民謡家、後藤岩太郎と二人で最上川の舟唄を捜し、寒河江(さがえ)の後藤作太郎、与三郎の両人から、今日のかけ声部分を教えてもらった。その後、左沢の元船頭の女房、佐藤やすから、「エンヤラヤ」が酒田化した「松前くずし」を聴かせてもらう。「エンヤラヤ」は九州に生まれた鯨漁の艪漕ぎ唄で、港伝いに北上したもの。二人はこの二つを組み合わせて「最上川船唄」を作りあげた。
昭和16(1941)年5月、NHK仙台放送局は、日本民謡研究史に残る「東北民謡視聴の旅」を企画。柳田国男、折口信夫、中山晋平など、そうそうたるメンバーが参加した。中山晋平はこの唄を聴いて、ロシアの「ボルガの舟歌」より優れていると評価したという。

 しかし、民謡の成立にNHKが関わっているというのはあまりに作為的というか、「みんなの歌」的というか・・・
 私は演歌が「日本の心」などといわれると、演歌なんて戦後も戦後、高度成長期以降の歌じゃないか、それに比べて民謡は、などと、演歌を否定したいばかりに言っていたものですが、これじゃ民謡も五十歩百歩。考えてみれば炭坑関係の仕事歌は、富国強兵と無関係ではなかったはずで、当たり前といえば当たり前。もちろん、変化しつつも連綿と伝えられるのが民謡なわけですが。

酒田船方節

アラ ヤッショーマカショ

「最上川舟唄」ときわめて似たお囃子ですが、こうなると「任せる」という意味なんかなく、ただのかけ声に思われます。
 元は「出雲節」だそうで、日本海沿岸に様々なヴァリエーションがあります。舟漕ぎ唄かと思いきや、船方相手の座敷唄だそうで、

雨風はげしきこの節なれば
私の商売船乗りで
辛い船乗りやめましょう
とはいうものの最上川
はいりて馴染の顔見れば
どうして船乗り 一生末代
やめらりょか

 働いてんだか遊んでんだか。

花笠踊り

ハァ ヤッショ マカショ

 よほど山形人は「ヤッショ マカショ」が好きとみえますが、これは昭和13年頃出来た新民謡。

庄内おばこ

コバエテ コバエテ

 これもよくわからないが、「こらえて」とすると、意味が通るのがおかしい。

おばこ来るかと
田圃のはんずれまで出て見たば
コバエテ コバエテ
おばこ来もせで
用のないたんばこ売りなどふれて来る
コバエテ コバエテ

 以下、囃子を抜いて記すと、
「おばここの中(じゅう)見(め)えぬ 風邪(かんぜ)でもひいたかやと案ずられ 風邪もひかねけんじょ 親達ゃきんびしくて籠の鳥
 おばこ心持ゃ 池の端の蓮の溜り水 少しさわると ころりころりとそま落ちる」
 これじゃ、庄内おばこはみなすぐに落ちるみたい(「落ちる」なんて言葉、ツイスト以来聞いちゃいないが)。
「おばこ居たかやと 裏の小ん窓からのぞいて見たば おばこ居もせで 用のない婆さんなど糸車」
 最初のたばこ売りといい、この婆さんといい、おばこがいいのはわかったけれども、何も働いている人をだしに使わなくてもいいのに。

新庄節

キタサ

 ネットで検索すると、アメリカに行っている新庄がヒットして困る。(しゃれではありません)
 これも「秋田音頭」と同じく、「来たさ」の意味のように思えるのは、

猿羽根(さばね)山越え舟形越えて
キタサ
会いに来たぞえ万場町にキタサ

と2番にあるため。しかし1番は来るまでいかず、
「あの山高くて新庄が見えぬ 新庄恋しや山憎くや」と、2番の前置きのようになっている。しかし「万場町」とは明治6年にできた遊郭で、この歌、故郷を懐かしむ歌でも、女房を恋うる歌でもなく、ただの酒席での騒ぎ歌。
「花の万場町上がれば下がる 金の足駄もたまらない」と、「しんじょう」ならぬ身上をつぶしそう。
「新庄名物踊るなら踊れ ふりのよいのを嫁にとる」
 飴と鞭的な一種の脅迫。しかし、嫁に取る前に男の方が左前になるのは目に見えている。

真室川音頭

ハァ ドントコイ ドントコイ

 この曲にも新庄が出てきます。

私しゃ真室川の梅の花
貴方また新庄の鶯よ
花の咲くのを待ちかねて
蕾のうちから通うて来る

 まるで娘ッコの青田刈り。よっぽど新庄は、遊び人のたむろする街として有名だったのでしょう。
 この歌の歌詞には小唄的に粋なところが見られますが、この裏歌も、なかなかセンスがいいです。

へたな剣術のろまの夜這い いつもシナイでたたかれる
あるよでないよで ないよであるよで あるよでないのはマラの骨
どうせ渡るなら×××のふち渡れ 穴に落ちてもそんはない
あねご十七、八おへその下に 男迷わす穴がある
姉御小便すりゃ鳩ポッポのぞく 覗くはずだよ豆がある

「さんまのからくりテレビ」や、所さんの「ダーツの旅」など見ていると、田舎の人(特に高齢になればなるほど)下ネタが好きだったりしますが、それが全然いやらしくなくて、あっけらかんとしている。あれを見ていると、私は古事記を思い出してしまうのですが、古事記もやはり直接的で、あっけらかんとしている。「お前とまぐわいたいがどうだ」−−イザナギも日本武尊も、口説き文句はそれでした。
 しかし、この裏歌の方はもう少し技巧がある。文化の臭いがします。

あがらしゃれ

ハアコイチャ

 秋田へ抜ける街道の宿場、大沢で、宿の主人が来客に酒をすすめる時の唄。別名「大沢節」。飲まない客は両側から押さえつけ、耳を引っ張り、口に酒を注いだというからすごい。酒を飲み、正気を失えば、神々の住む世界に近づけるという、酒飲みにはありがたい信仰を伴った酒盛り唄はここだけに残ったそうな。土地では手拍子だけで唄われるのもいい。
  囃しは「はあ、来いちゃ」でしょう。

ハア−たんと飲んでくりょ 何やないたてもヨ
ハアコイチャ わしの気持ちが 肴かな アリャノメ ソリャノメ

 飲め飲めといわれても、肴が「わしの気持ち」だけじゃ、ちょっとね。

ハア−大沢三千石 居たくねじゃねどもヨ
ハアコイチャ 朝飯ゃ ひるめし 昼飯ゃ 夜飯 夜飯ゃ夜中で どんと困る

 これはお客からの返しでしょう。夜中までの酒盛りで、時間がずれずれ。そして夜はまた酒盛り。酒飲みには天国ですな。

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