日本歌謡のオノマトペー

(「昭和歌謡の風景」予告編)

岩手

外山節

コラサノサンサ

「サンサ」というと、お隣宮城の「さんさ時雨」や富山の「こきりこ節」を思い出しますが、両者ともお囃子ではなく、歌詞の方にこの言葉が見られます。また、秋田の花輪ばやしに「サンサ」という独特な手打ちがあるそうですが、これらとこの囃し言葉と関係があるのか、ちょっとわかりません。
 最も関係が深そうなのが、盛岡の「さんさ踊り」です。
「さんさ踊るなら しなよく踊れ しなのよいのを 嫁にとる」
 歌詞は「新庄節」に似ていますが、この盆踊りは「岩手」の由来ともなった、三ッ石神社の巨石伝説に由来するそうです。
 それによると、むかし三ッ石神社の神が鬼退治の際、捕まえた鬼に2度とこの里に来ないことを誓わせた上、その証として巨石に手形(岩手の由来)を取った。里人たちは大いに喜び 祝い、三ッ石のまわりをサンサ、サンサと踊ったのが始まり、だそうです。
「サンサ、サンサと踊った」というのが唐突ですが、「三叉」とすれば三ツ石と数字が合うし、また、仙台には「ササ」という祝いの囃し言葉があるそうです。
 外山は盛岡の東、玉山村に明治の初めに開かれた牧場だそうで、草刈りの仕事唄が元のようです。上の句と下の句が対になった、そういう意味ではよくできた詞です。

わたしゃ外山の 日かげのわらび 誰も折らぬで榾(ほだ)となる
わたしゃ外山の 野に咲く桔梗 掘らば掘らんせ今のうち
おれと行かぬか あの山かげさ 駒コ育てる萩刈りに
外山育ちでも 駒コに劣る 駒コ千両で買われゆく
南部牛追唄

コラサンサエー

 こちらは南部ですが、やっぱり「サンサ」です。

なにゃどやら

なにゃどやら
なにゃど なされの
なにゃどやら

 旧南部領全体に伝わっている盆踊りで、「なにゃとやら」という地方もあるらしい。お囃子も地方地方で微妙に違う。
 意味は諸説あり、「何なとやれ 何なとなされよ」と解すと、「どうにでもして」と女が男を口説いていることとなる。また、「何なとやれ 何なとなされぬ」と解すと、「できないことはないから、大いにやろう」とはやし立てていることになる(金田一も支持する、中里説)。また、柳田国男はこれを「農民哀歌」だとしており、そうなると、「何がなされて 何がどうやら」という、憤懣と諦めの言葉とも解釈できる。
 さらにヘブライ語説というのもあり、一戸出身の神学博士、川守田英二氏によれば、
「ナギアトヤーラーヨー ナギアドナサレダーデ サーデ サーイエ ナガアッイウドヤーラヨー」というのは、
「エホバ進み給え 前方にダビデ 仇を払わんとすイダ族の先頭にエホバ進み給え」
という意味であるという。確かに、十和田湖畔の戸来(へらい=ヘブライ)村にはキリストの墓があり、「十和田」のどの文字にも「+」が埋め込まれています。「なにゃどやら」がこのページで聴けますが、そう思って聴くとそんな感じもしないではありません。

 さて、歌詞の方は様々あり、ほかの民謡と共通するものもありますが、面白いものを紹介すると、
「浅い川なら膝きりまくり 深くなるほど帯を解く」
 関係ありませんが、「黒の舟唄」を思い出します。
「恋にこがれてなく蝉よりは なかぬ蛍は身をこがす
 七つ八つからイロハこ習い ハの字忘れてイロばかり」

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