日本歌謡のオノマトペー

(「昭和歌謡の風景」予告編)

宮城

さんさ時雨

ションガイナ

「しょうがないな」が訛ったものでしょうか。

さんさ時雨か 萱野の雨か
音もせで来て濡れかかる ションガイナ
 こうしてみると、意味が通るように思えます。山形では、「ショウガイナ」と歌われるらしい。

 この歌の成立は天正17年にまで遡ります。伊達政宗が会津の蘆名義広と猪苗代湖近くの摺上原に戦った際、伊達一族の亘理五郎重宗が露営のつれづれに詠んだ歌が、

音もせで 茅野の夜の時雨きて 袖にさんさと降りかかるらむ

 正宗が直ちに作り替え、陣中の兵士に歌わせたという。「しょうがないな」の意だとすると、ずいぶんのんびりしているが、昭和の軍歌だってそうした歌が多いので、きっとそんなものなのでしょう。
 一方、中国や九州に節回しの似た民謡があり、東京にも「さんさ踊り」なるものがあって、清元や常磐津にも取り入れられていて、和歌は別として、民謡としてはそちらが元じゃないかということです。

「ションガイナ」という言葉の入った、超有名な端唄。
「梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ゃなよなよ風次第 山吹ゃ浮気で色ばっかり ションガイナ」
 山吹は実を結ばないため、実(じつ)がない、とかけてある。
「あさりとれたか 蛤ゃまだかいな あわび くよくよ片想い さざえは悋気(りんき)で 角ばっかり ションガイナ」
 女陰が貝にたとえられるのは、今も昔も変わらない(最近は使わないか)。
「柳橋から小舟で急がせ 舟はゆらゆら棹(さお)次第 舟から上って土堤(どて)八丁 吉原へ御案内」
 一般にイメージされる吉原は明暦3年の大火で移転してからのこと。この歌を口ずさみながら、土手をいそいそと通ったようです。

 どうも素人なのでよくわかりませんが、「ションガイナ」という言葉にしても、岐阜、愛知、長野の民謡でも見られますし、「ションガイナ踊り」なんてのもあります。「しょんがいな」と日常的に行っている地方が、どこかにありそうな気がします。

斎太郎(さいたら)節

アレワエートソーリャ

 これも有名な歌。囃しも説明の必要もない、ただのつなぎの文句です。

松島のサヨー
瑞巌寺ほどの 寺もないトエー
アレワエートソーリャ 大漁だエー

 歳徳神を祭る祝い唄として用いられる「サイトクシン節」が「サイタラ節」になり、たたら職人の斎太郎の伝説と結び付いて「斎太郎節」となったらしい。
 歳徳神は「としとくじん」と読むのが正式で、陰陽道で、その年の福徳をつかさどる神のこと。正月の門松はこの神を迎える目印で、正月様ともいう。斎太郎は伝説的なたたら職人で、銀座の暴動を指揮し、捕らえられた。

塩釜甚句

ハ ハ ハットセ

 徳島の阿波踊りのお囃子を思い出しますが、意味不明です。

塩釜街道に アハットセ 白菊植えて アハットセ
何を聞く聞く アリャ たより聞く ハ ハ ハットセ

 この歌詞は東北の他の歌に転用されています。
 三代目伊達綱宗は、江戸新吉原三浦屋の遊女、高尾を身請けするなどの不行跡があったため、在職わずか二年で二歳の亀千代に跡目を譲ることになった。さらに仙台では遊廓を作ることが禁じられ、仕方なく城下の人々は門前町、漁港として賑わい、遊廓が栄えていた塩釜へ通うことになった。四里の道のりをたいへんなことです。そこで、街道沿いに菊を植えて、菊から便りを聞く、となった。
 元来は遊廓で、遊女が漁師や船頭相手に酒席で唄っていた騒ぎ唄で、次の歌詞は遊女側のもの。

船は千来る 万来る中で
思うた船頭さん ただ一人
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