酔っぱらい介抱同盟

 佐々木さんには最初から好意を持っていた。
 会社の帰りによく飲みに行くが、二人きりでということは決してない。4、5人誘い合ってということが一番多いが、それ以上の人数で飲んでいても、最後は佐々木さんと二人きりになる。つまり佐々木さんは社内No.1の酒豪で、わたしは女子社員のNo.1なのだ。他のみんなが音をあげて帰るまで、延々飲み続けるのがわたし達の習慣になっている。たまに新人の子などがつぶれながらも最後までつきあうことがあるが、次からは必ず途中で抜けるようになる。周りからの忠告もあるのだろう。
「お前らとつきあっていたら、体をこわしちゃうよ」
 わざわざそう言って帰っていく人もいる。

 わたしはどういうわけかアルコールが効きにくい体質で、酔わないわけではないのだけれど、酔いつぶれようと思ったら相当に骨が折れる。だから学生時代はいつも介抱する役で、みんなみたいに手軽に酔っぱらえたらいいなと、いつも思っていた。半同棲みたいにつきあっていた彼を他の子に取られた時、友だちが慰める会みたいなのをやってくれたが、その時も介抱役はわたしだった。
 彼と別れたわたしは荒れて、わざとナンパされて飲みに行き、つぶしにかかってくる相手を逆につぶして、ただ酒を飲んでいた。こんなことしてたらアル中になっちゃうかなと思いつつも、ナンパされたら必ずついていった。
 ある時そんな風に飲んでいて、トイレに立っている間に薬を混ぜられたのか、急に目が回って意識がなくなった。ホテルの一室で気がつくと、全裸で床に倒れていた。自分が吐いたものと精液で全身汚れ、その臭いでもう一度吐いた。頭が痛く、なかなか起きあがれない。男はもう出ていった後のようだった。なんとかシャワーを浴び、男が戻ってくるのを恐れて、びりびりに引き裂かれた衣服をコートで隠し、タクシーで帰った。
 自分が本当に馬鹿に思え、お風呂で何度からだを洗っても、いつまでも嫌な臭いが落ちない気がした。3時間もお風呂に入っていただろうか。すっかり疲れ果て、ベッドに潜り込むとすぐに眠っていた。
 目が覚めるともう暗くなり始めていた。ハンドバッグに財布があったので最初気づかなかったが、免許証がなくなっていた。男がいつ住所を訪ねてくるかと思うと居ても立ってもいられず、着替えだけをバッグに詰めて飛び出し、それからあちこち電話して、一人の友だちの所に転がり込んだ。翌日にはもう不動産屋を周り、3日後に引っ越した。もう一つ心配だった妊娠も、次の生理が予定通りにきて安心した。しばらくはナンパされるだけで怖くて、渋谷の街も歩けなかったが、時間が経つうちに、自然に無視できるようになった。
 ただ、前ほどにはお酒が好きではなくなった。酔うことへの恐怖心からか、ますます酔わなくなった。それでも友だちに誘われれば飲みに行ったし、飲んで楽しくないわけではない。相変わらずの介抱役だったが、それが嫌でもなくなった。

 学校を出てこの会社に入ると、わたしは初めて介抱役から解放された。佐々木さんがいつも最後までがんばって、みんなの世話をするからだ。
 佐々木さんはわたしのように酔わないのではなく、体力で飲むタイプだ。学生の頃ラグビーで鍛えたというからだは、さすがに弛んできてはいるが、社内腕相撲大会ではまだまだ上位をキープしている。酒も学生の頃仕込まれたそうで、体力気力でつぶれない飲み方なのだ。結果的に酔っている時間が人より長いことになり、後で覚えていない時間も人より長くなる。覚えていないからといって悪い酔い方ではなく、確かに体育系らしく後輩に無理強いすることもあるが、基本的に明るく、温かく、一生懸命なのだ。
 佐々木さんと飲むと、わたしは気兼ねなく飲んでいいんだと、安心感を覚えるようになった。例えわたしが酔いつぶれても、佐々木さんがいれば大丈夫。時にわたしよりも佐々木さんの方が危なげに思えることもあったが、それでも彼は最後までつきあってくれる。それはもう根性とでもいうしかない。タクシーでわたしを送った後に寝込み、運転手にさんざん迷惑をかけたと、翌日に聞いたことが何度もある。
 そして佐々木さんとふたりだと、酔いつぶれた同僚を介抱するのも実に楽しい。
「今まで俺一人だったからさ、吉井ちゃんが来てくれて、ほんと助かるよ」と、佐々木さんもうれしそうで、「俺達、酔っぱらい介抱同盟だな」と笑った。
 ふたりとも慣れたもので、一人がネクタイを弛め、その間にもう一人が冷たいおしぼりとお冷やをもらってきて、顔や首筋を拭くやら、水を飲ませるやら。外の風に当たらせようと、どこか人の迷惑のかからないところに座らせ、男だったら介抱スリにあわないように、大事な物を預かっておいて、時々代わる代わるに見に行く。それが女性ならわたしがついているが、佐々木さんは時々見に来て、わたしにお酒とつまみの差し入れをする。
 そんな風に佐々木さんがお酒と串焼きを持って出てくると、
「ああ、いい月だなあ」
「ええ、わたしもさっきから見ていたの」
 ほんのちょっと欠けた、大きな月が頭の真上にあった。酔った頬には心地よい、秋風が吹いていた。
「吉井ちゃん。月見する?」
「お月見?」あまりに佐々木さんに不似合いな台詞なので、わたしは思わず笑ってしまった。「幼稚園の頃、画用紙に月を描いて、摘んできたススキをくっけたりしたけど、確かあの時は雨だったわ。お月見なんて、今日が初めてかも知れない」
「昔の人はね、旧暦8月15日の月を『中秋の名月』といったんだけど、9月13日の月も『後の名月』といって、やっぱりお月見したんだ。旧暦の9月って今頃だから、あれは『後の名月』かも知れないな」
 今まで体育系の、ブルドーザーのようなイメージしかなかったから、佐々木さんのこの言葉を意外に聞きながら、飲屋街のネオンにも負けず輝いている頭上の月を、ふたりしていつまでも眺めていた。
「まだ飲めるわよ」
 よくあるドラマのような酔いつぶれた同僚の寝言に一緒に吹き出した時、わたしは佐々木さんが好きになっている自分に気がついた。

 しかしあの事件以来、わたしは男性恐怖症にもなっていた。あれから男の人とつきあったことはないし、友だちが気を使ってさりげなく紹介してくれた相手とも、電話で話はしても、ふたりっきりで会うことはなかった。バイト先の忘年会で、わたしの隣に座った店長が口説いてきて、しつこく手を握られているうちに、真っ赤な蕁麻疹が全身に現れたこともあった。もう日常的に接する分にはなんでもないのだけど、手が触れただけで鳥肌が立つことが今でもある。
 だから、いくら佐々木さんを好きになっても、わたしに彼を受け入れることができるか不安で、彼がわたしのことなんかなんとも思っていないかもしれないし、もし嫌いじゃないにしても、いざ触れられて見る見る蕁麻疹が出たらきっと気味悪がられるだろう、嫌われるだろう、いや、あの事を話せば佐々木さんのことだから同情してくれるだろうが、大好きな佐々木さんにわたしの最も馬鹿で恥ずかしい出来事を話すのは何よりつらいから、そんなことならこうして楽しく飲んでいた方がどれだけいいかわからないと、週に1、2度、彼と飲めることだけを楽しみに会社勤めを続けていた。
 だけど佐々木さんも、いつかは結婚するのだ。彼がお見合いをしたという話を耳にした時には、さすがに動揺した。ゴールデン・ウィークに帰省した際、田舎でお見合いしてきたというのだ。休み明けの宴席は、その話題で持ちきりだった。
「だめだめ、相手は一人っ子なんだから。わざわざそんな子とお見合いさせるなんて、うちの親も困ったもんよ。田舎の土建屋の一人っ子に婿養子にやっても、帰ってこいっていうんだからな。都会は人間をだめにすると、信じ切っているんだから」
「そんなこと言って、それって逆玉じゃないですか」
「まあな。土建屋で自民党員で村会議員で、そのうち村長も狙っている、よくいるじじいよ。だけど娘がうんと言わないさ」
「でももし向こうがO.K.だったら、佐々木さんはどうするんですか?」ずっと黙ってきいてきたが、わたしはたまらなくなってそう聞いた。
「ま、こう言っちゃなんだけど、俺にはここの仕事よりも土建屋の方が向いてるかもな。だけど、議員さんって柄じゃない。それにあんなガリガリな娘、エッチしてるうちにへし折っちゃいそうだ」
「佐々木さん、そんなに激しいんですか?」周りがちゃちゃを入れて、笑いのうちに話はそっちの方にそれた。
 佐々木さんを奪われたくない、という気持ちがわたしの中にあった。いつまでもこうして飲んでいたい。そう、セックスなんかしないで、ただこうして飲んでいたい。それがわたしの本音だった。それが彼の一言で、冷や水を浴びせられたように現実が見えてきた。
 佐々木さんだって男なんだ。やっぱり誰かとセックスするし、セックスしたいんだ。当たり前といえば、当たり前のこと。

 その夜、わたしはまったく酔えなかった。一人消え、二人消えして、いつものように佐々木さんとふたりきりになっていた。わたしがまったく酔っていないことを彼も気づいて、
「あれ、今日はどうしたの? いつも冷静な吉井ちゃんだけど、今日はまた一段とだね。よし、今日こそ俺はつぶれてもいいな。吉井ちゃんがいれば安心だ。俺がつぶれるなんて、大学以来だぜ。あの頃は先輩につぶされてばかりだったが、社会に出たら、つぶれることもできないんだもの。吉井ちゃん、今日はお前に甘えるぞ。お前に甘えて、つぶれるまで飲むぞ!」
 これまでさんざん呑んだ人とは思えないほどのピッチで飲み、ますます酔っていったが、それでもつぶれる気配はいっこうになかった。つぶれるまで飲む、がやがて朝まで飲むに変わり、店が次々に閉まっていった。連休明けで、明日、というか今日あたりから、会社は忙しくなる。徹夜で飲んだりしたら、仕事にならなくなるだろう。そう言うと佐々木さんは、
「そうだな。じゃ、ホテル行こ、ホテル」
「え?」
「なんにもしないよ。ただ寝るだけ。それに、ホテルには酒もあるしな」
 ふらふらする佐々木さんに、しがみつくようにして歩いた。彼の体臭、彼の体温――わたしのからだに拒絶するような動きはなかった。これなら、だいじょうぶかも知れない。
 ホテルの部屋は鏡張りで、さあどうぞ、みたいな下卑た感じだった。すぐにもキスをせがまれたら、きっと鳥肌蕁麻疹ものだったが、佐々木さんはベッドに腰掛けて水を一気飲みすると、すぐにシャワーを浴びに行った。ふらふらしていたから心配だったが、すぐに鼻歌が聞こえてきたので安心し、寝坊しないように目覚ましをかけたり、朝の化粧のことを気にしたりしていた。足りないものはコンビニで買ってもいいし、第一服が同じなのだから、すぐに気にするのをやめにした。
 佐々木さんはバスタオルを撒いて出てくるなり、
「風呂上がりは、ビールだよな」
 もう酔いが醒めたようにすっきりしてて、すぐに冷蔵庫を開けた。
「吉井ちゃんも浴びてきなよ。さっぱりするよ」
 磨りガラスでは丸見えだとお風呂の電気を消し、薄暗い中でシャワーを浴びた。居酒屋の臭いが髪まで染みついているのでシャンプーまでして、石鹸は安っぽい臭いだったが、からだを丹念に洗って、佐々木さんと同じようにバスタオルだけで出てくると、彼はビールを飲み終え、ベッドに大の字になって寝ていた。ものすごい鼾だった。
 わたしも彼と同じようにビールの栓を抜き、コップに注いで一気に飲んだ。おいしかった。さらに注ぎ、半分飲んだところで一息ついた。
 彼の腰に撒いた黄色いタオルを解いてみた。彼のペニスもまた、爆睡状態で、ビールのコップで触れても、ぴくりともしなかった。わたしもまたバスタオルを解き、彼の横に小さく寄り添った。彼の腕に胸をつけ、手を持ってわたしの太股に乗せた。彼のからだからも、安っぽい石鹸の匂いがしていた。
 なんでもなかった。蕁麻疹はおろか、鳥肌も立たなかった。これでいい、と思った。これは酒の上でのこと。これを既成事実として迫る気はない。佐々木さんとは会社でいつも顔を合わせているが、考えてみれば、お酒の上でのつき合いの方が深い。酒席では互いにいいパートナーだ。だったら、お酒に導いてもらうのが一番いいんじゃないか?
 今度はわたしが酔いつぶれてみよう。この間のお返しよ、と言って、浴びるほどに飲んでみよう。前みたいなことになるはずはない。だって、今度は佐々木さんが相手なのだし、求めているのはわたしなのだから。それに田舎の土建屋だか、村会議員だかのガリガリ娘に、佐々木さんの相手がつとまるとは思えないし。
 そんなことを考えているうちに、わたしはいつしか眠りに落ちていた。

おわり
この終わり方に不満な人のために(不満な人だけご覧下さい)
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