治療系風俗店潜入レポート(2)

　待たされる間、実は半分ほど後悔し始めた。日本では保険証といえば、免許証に次ぐ身分証明書である。それで借金だってできるのだ。この悪評ふんぷんたるK舞伎町で、迂闊にも保険証を渡してしまうとは！　アンヌ先生やマリア看護婦のためなら少々の冒険は致し方ないとは思っても、現実は現実。保険証でできる借金って、上限はいくらだろう？　風俗店の悪口もびしばし書く、この麻マラの保険証だと知れたら、店から店に廻されて、あっという間に多重債務者にされてしまうかもしれない。こんなことなら、ホームレスから保険証を取り上げて来るんだった。
　しかし、俺だってマスコミの端くれじゃないか。自分の保険証で堂々と潜入しなければ、体当たりのこの企画にそぐわないではない。多重債務者となったら、メディアで戦えばいいじゃないか。ペンは剣よりも強し、っていうじゃないか。
――などなど、それほど待たされたわけでもないのに様々に思いめぐらし、自らを鼓舞してベンチに留まっていると、呼び出しの声が聞こえた。
「松本膣夫さん。第3診察室にお入り下さい」
　どうせ誰もいないものと、ノックもせず診察室のドアを開けると、デスクに向かう女性の白衣の背中があった。こちらの気配を察して、振り向きもせず、
「松本さんですね。そこにかけて下さい」
　そこ、というのはグレーの回転式の丸椅子で、壁際には診察台があり、布の衝立や脱衣籠まであって、まさに病院そのもの。消毒の臭いが強く鼻をつく。ここまで凝っているのなら、ノックをすればよかったと後悔した。普通の風俗店なら、先に部屋に入り、シャワーを浴びて待っていると、女の子が女医さんの格好をして入ってくるのだが、診察室に入るところからもう始まっているとは思わなかった。
　遅ればせながら腰掛ける前に、「よろしくお願いします」と言ったが、特に答えもなく、いっこうにこちらを向く様子がない。
　手持ちぶさたに周りを見ると、唯一診察室らしくないのはシャワー・ルームらしきものがあることだった。シャワーを浴びなくてもいいのかしら？　何も始まらないのは、さっさとシャワーを浴びてこい、ってことだろうか？　だったらそう言えばいいわけで、開き直って、白衣から覗くうなじを見ながら想像をたくましくしていた。
　しばらく無視された後、おもむろにアンヌ先生がこちらを向いた。
　顔はポラロイドで見たよりずっと大人っぽく、胸も期待以上に大きそうだ。それより感激したのは小道具で、聴診器を首から下げているのはありがちだが、おでこには額帯鏡をつけていた！　丸い金属の反射板の中央に穴が空いていて、効き目で覗けるように、バンドで額に固定し、使わない時には上に上げておく、あの診察道具だ。子供の頃に扁桃腺を腫らせて、それで口の中を覗かれた経験は誰もがあるだろう。
　これを使わせない手はない。
「どうしましたか？」
「あの、最近喉がいがらっぽくて、咳も出るんです。子供の頃に喘息をやったことがあるので・・・」
「口を大きく開けて」
　優しい命令口調。勿論、こっちは素直に従う。先生は額帯鏡を右目に当て、デスク脇のトレイの中を探って、舌圧子を手にした。うわ、こんなものまであるとは！　喉の奥を見る時、舌に圧し当てる金属のへらである。冷たいそれを圧し当てられると、思わず「おえっ」となりそうになった。
「特に異常はないですね。煙草は何本ぐらい、吸います？」
「うぐうぐ」
「あら。ごめんなさい」
　わざとらしくそう言って、先生は舌圧子を口から出した。ごくっと唾を飲み込むと、金属の味がする。
「はあ。2箱ぐらいですか」
「ちょっと多いですね」そういいながら聴診器を耳にあてがい、「胸を出して下さい――あ、脱がなくても…」
　こちらとしては脱ぐのが当然だと思ったが、Tシャツをまくり上げるだけでよかったらしい。しかし、脱いでしまったものを着るまでもないだろう。だってどうせ脱ぐのだからと、そのままでいると、ひんやりとした聴診器を胸に当てられた。
「はい、息を吸って――止めて――吐いて。はい、いいですよ」聴診器を耳から外しながら、「特に異常ないですね」そしてこちらに背を向け、「痰が出ることはありますか？」
　カルテを書き込む彼女の背中に向かって、「ないです」と答える。
「最近は結核が再流行の兆しを見せていますから、一応検査しましょう。だけど、単に煙草の吸いすぎだと思いますね。一日2箱は、あまりに多すぎます。煙草は発癌物質も含んでいますし、百害あって一利なしですから、やめるに越したことないですよ」
「わかっているんですが、どうも、仕事柄・・・」
「則禁煙というわけではないですが、少しずつ本数を減らしていった方がいいですね」
　完璧な医者対応。何をだらだら、と思う人もいるだろう。ところが、最近イメクラには不感症気味だった麻マラの朝マラは、完璧な演出と焦らし作戦に、既にビンビンときていた。

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