下足番の下駄

「生まれは悪くないのよ。」と、「百合」のママは言う。四国の呉服屋の末っ子で長男。次女が子連れの出戻りで、店をその子に継がせる話もあるようだが、
「だからって、帰って帰れないわけじゃないのに。」
 スガイさんがこの店に来る時は、いつもママと一緒だった。つまりは百合の常連で、他の客も交えて大勢で来ることもあったが、そんな時でも、支払いはいつもスガイさんだった。ずいぶん羽振りのいい人だと思ったが、仕事は某演芸場の下足番。チップという副収入があったにせよ、それより宵越しの金は持たないといったタイプ。話し方もべらんめえなので、四国出身と聞いた時は意外だった。

 たいそう大きな呉服屋に生まれ、なに不自由なく育てられたが、ある時大阪の寄席に連れていかれ、落語に魅せられた。本人によれば、まだ五歳だったのに、その時聞いた演目を帰って家族に語って聞かせたという。それからラジオを買ってもらい、落語の放送は欠かさず聞き、父親も地元に立ち寄った落語家を招いて、息子のために一席語らせたりした。
 次の転機は十一の時。東京から来ていた有名な落語家によって、初めて江戸落語を聞いたときだった。めっぽう歯切れのいい語り口に、思わずうなったというから子供らしくない。そして密かに江戸っ子弁の練習をしたが、どうしてもうまくいかない。これは東京に行かなければしゃべれないのだろうと、東京へのあこがれが芽生えた。

 しかし上京する機会は、大学進学の時まで訪れなかった。大阪の大学でいいじゃないかという父親を、これからは東京です、とかなんとか丸め込んだらしい。東京の私学の商学部。学部はどうでもよかった。とにかく東京の、落語研究会のある大学。頭も決して悪くないので、浪人もせず、条件にあった大学に合格した。
 すぐさま寄席通いの日々。大学へは落研に顔を出すだけで、ほとんど寄席に入学したようなもの。まさに落語三昧だが、二年の冬、交通事故にあってしまう。足の骨が見えるほどひどい骨折だったそうで、すぐさま両親が駆けつけた。
 そして入院中、ほとんど大学の単位が取れていないことがばれてしまう。父親はたいそう怒り、「もう大学なんぞ出なくてもいい」とまで言ったそうだが、「中途半端はいやだから、あと二年で出てみせます」と説き伏せたらしい。

 新学期に間に合わせて、早めに退院。相変わらず寄席に通ったが、約束通り授業にも出た。そこで犠牲になったのがリハビリで、百合のママ曰く、「そこがあの子の悪いとこなのよ」目の前の嫌なことから逃げたおかげで、すべてが悪く回ってしまう。
 歩く分には不自由しないが、きれいな正座が出来ない。医者に泣きついても後の祭り。あるいはまだ若かったのだし、死ぬほどの痛みに耐えれば正座が出来るようになったかもしれないが、それができない。しかも、正座できないと落語は語れないと思いこんでいる。正座なんぞ出来なくても、立派に語ってみせるという気概がない。かといって、落語を諦められない。学園祭や、各校の落研が集う「学生寄席」には、座らなくてすむ漫談で出場するが、それじゃ物足りない。立ったまま落語を語るのは、プライドが許さない。落研からは徐々に身を引いたが、それでも寄席通いはやめなかった。
 親との約束通りにはいかなかったが、五年で大学を卒業。しかし田舎には帰らない。どうしても呉服屋の主人になどなりたくない。じゃあ、何がしたいのかといえば、子供の頃からの夢だった噺家以外に考えられない。そこで一念発起しないのが彼で、寄席で働くことを思いつく。せめて高座の近くで、ということだった。

 弁も立てば機転も利く。すぐにお客にも顔を覚えられ、座敷に呼ばれたりするようになる。正座が出来ないから横座りで、それがおかしく見えないように、わざと女形のようなしなで座をわかせた。「それで両刀覚えちゃったのよ。」
 本当かどうか知らないが、気に入られたのは噺家からもで、褒め方がうまいものだから、あちこち連れ歩かれた。褒めるのもただよいしょするのじゃなく、ちゃんといいところを褒めるから、相手も参考になるし、第一気持ちいい。「そうだろ?わかってくれるのはスガイちゃんだけだよ」と、今じゃ中堅の落語家の何人から言われたか。太鼓持ちという職業が今でも成立するなら、その頃のスガイさんほど適した人はいないかもしれない。
 しかしスガイさんの身に染みついたのは、そうした幇間的な性格よりも、むしろ旦那衆や噺家の気っ風のよさだった。噺家への努力を放棄したからといって、憧れまで捨てる人ではない。逆に、憧れが増したのではないだろうか。そして噺家への憧れは、なにもうまく話が語れることに限らなかったろう。
 落語家の卵や寄席で働く後輩を連れて飲み歩く。しみったれた飲み方じゃないし、本質的にサービス精神旺盛で、後輩にも気を使うので、周りから慕われてはいた。しかし一方、自分のサービスが受け入れられないとすぐ不機嫌になる。旦那衆の座敷が引けた後、仲間を呼びだしてまで飲みに行き、ご祝儀を使い果たすまで帰ろうとしない。中にはたかり屋のような連中もいたらしいが、迷惑に思っていた人もいただろう。

 時代とともに、寄席の集客人数は落ち込み、従業員が辞めたいと言えば、小屋主は喜びこそすれ、代わりを雇うことはなくなった。それでもやっていけなくなって、ついにはリストラ。肩を叩かれたのはスガイさんだった。勤めてもうすぐ三十年。残されたのは二十代のヒヨッコばかりで、常連客の顔と名前も覚えきれていないが、それでもスガイさんより給料が安い。退職金もわずかだった。
 送別会の二次会で、スガイさんは退職金に手を着けてしまう。後輩達は止めたが、どうしても言うことを聞かない。そして最後にべろべろで立ち寄ったのが、百合だった。ママは呆れてものも言えなかったという。一番高いボトルを出せと大騒ぎし、カウンターの端にあった花瓶を割ったので、
「あんた、これ高いのよ。弁償してよ!」
 スガイさんも酔った勢いで、「ああ、弁償してやるよ。これで足りるか!」
 残りの退職金を袋ごとカウンターに叩きつけた。ママはちらっと中身を覗いて、
「足りないけど、取っとくわ。さあ、もう帰ってよ!」
 彼らを追い出しながら、一番酔ってなさそうな子に、お金は預かっておくから、明日取りに来るように、スガイさんが素面になってから言ってくれるよう頼んだそうだ。

 その翌日、百合が終わってから二人で飲みに来たのを覚えている。さすがのスガイさんもしゅんとしていたが、ママにさんざん説教された後だからだろう、僕の顔を見るとほっとしたような表情になった。
 そして今後の身の振り方を話し始めたが、それは小説を書くというものだった。これまでただ下足番をしていたわけではなく、新作落語を書いたりしていたという。そのためのアイデアも山ほどあり、それを書き込んだメモが段ボールに箱詰めにされている。今更落語にしなくても、それを小説にして、出版関係の人間は作家も編集者も社長さえ知っているからと、ずらずらっと名前を挙げるのをママが遮って、
「あなた、今までに自分の書いたものを誰かに見てもらったことあるの?」
 落語は若手の噺家に提供したことがあり、次も頼まれていたのだけど、そのままずるずると…
「そこがあなたのいけないとこなのよ。とことんまでやったためしがないんだから――」
 それこそ顔が広いんだから、誰かに頼んで就職先を世話してもらった方がいい、というのがママの意見。スガイさんは失業保険がもらえるうちは作家を目指して頑張るというので、せっかくのやる気に水を差してはと、その時はエールを送って終わったと記憶している。

 一週間ほど後だったか、百合のママから電話があり、
「マスター、パソコン使える?」
 なんのことかと思ったが、早速ノートパソコンを持ったスガイさんが現れた。彼が一人でこの店に来たのは、それが初めてだった。
 とりあえず手書きで小説を書き始めてみる、なんてことが出来ないのがスガイさんで、残りの退職金をつぎ込んでパソコンを購入したらしい。しかしキーボードさえ叩いたこともないような初心者。キーの配列は自分で覚えてもらうことにして、文字以外のキーの説明、漢字変換の仕方や、ワープロソフトの説明など、最低限必要なことを教えた。彼はメモを取りながら熱心に聞いていたが、やがてママが来ると、今覚えたことを子供のようにひとしきり喋り、
「便利なんだか、なんだかわからねえや。」
「なんでもいいから、がんばりなさいよ。」
 前回とはうって変わって、ママは説教臭いことは一切言わず、ただそう励ました。

 その後もスガイさんから色々質問されると覚悟していたが、案に反して、顔さえ見ない日が続いた。ママに聞くと、ダメダメと手を振る。あれ以来パソコンを持ってくることはなくなり、心配して、「書いてる?」って聞くと、そのうち見せると言いながら、いっこうに見せてくれない。しつこく聞けばきっとパソコンのせいにするのは目に見えているから、聞く気にもならない。
「あんな高い機械を無駄にするんだったら、お金返さなきゃよかった。」
 お金もないのに飲みに来るから、今までの分と思って安く飲ませている。
「ここにも連れてきたいんだけど、きっとあの人が払うってきかないから。ごめんね。」

 その後、聞いた話では、メモが読めないと落ち込んでいたという。最初ママは、
「お互いそういう年よ。恥ずかしがらないで、老眼鏡かけなさいよ。」
と言ったそうだが、そうじゃないという。それじゃ酔っぱらって書いた字が読めないってことかと聞いても、違うという。字は読めるが、意味がわからない。そもそもメモを取るというのは何かを忘れないためだが、その何かを完全に忘れてしまえば、まるで他人のメモを見るように、それが何を言わんとしているかはわからなくなってしまう。
 ママは、メモなんかに頼らないで新しく作ればいいと言ったらしいが、その日は落ち込んだままだったらしい。
 その話を聞いてから、スガイさんが店に来ても小説の話は一切しないで、いつものように飲むだけだった。いつものようといっても、以前ほどめちゃくちゃな飲み方はしなくなり、同時にはしゃぎもしなくなった。そして、つまみをきれいに食べるようになった。前はさんざん飲み食いしてから来ていたので、こちらもお新香ぐらいしか出さなかったが、ママがお腹が空いたというので焼きそばを出すと、ほとんどスガイさんが食べた。ママが気を利かせたのだとわかり、それからはなるべく腹に溜まるものを出すようにした。するとスガイさんも、セットの内だいうのに余分に出そうとするので、
「あなた、親切も素直に受けられないの?マスターに失礼でしょ!」
とママが怒ったりして、親切の押し売りのようになって、心苦しいこともあった。

 それがある時、スガイさんがひどく上機嫌なことがあった。僕に鮨のお土産まであって、どうしたのかと聞くと、競馬で大穴を当てたという。
「仕事もしてないんだから、生活費に充てればいいのに。」
と言いながら、ママも楽しそうで、ボトルを焼酎からスコッチに変え、久々に陽気な酒だった。そのうちに、パソコンが出来ないはずのスガイさんがインターネットの話を始めるので、
「偉そうに言って、あんたやったことあるの?」
 ママがそう聞くと、実は今日の万馬券もそのおかげだという。有料無料の予想サイトが山ほどあり、そのうち説得力のある馬券を試しに買ったら、それがドンピシャ。
「いやあ、インターネット様々だ。」
 いつの間にそんなに上達してたんですか、と僕も笑ったが、ママは顔を紅潮させ、
「あんた、なに考えてんのよ!」びっくりするような大声で、「そんなためにパソコン買ったんじゃないでしょ!そんなためにマスターに教えてもらったんじゃないでしょ!あたしだってマスターだって、あんたが小説書くって言うから応援してたのに。保険解約したお金で競馬なんかして。もうあんたなんか知らないからね!」
 そう言うなり、ママは店を飛び出した。以前のスガイさんだったら、「へっ。なに言ってやがんで」とひねくれたところだが、ママの言葉が相当に応えたのか、あわてて後を追っていった。
 スガイさんは勘定を払うのを忘れていたが、財布の入った上着まで忘れていっていた。戻ってきたらと思ってしばらく店を開けていたが、結局帰ってはこなかった。

 スガイさんの電話番号も住所も知らないので、翌日百合に電話すると、少しだがお金を貸したから心配いらないという。スガイさんはママの家まで追いかけて、悪かった、心を入れ替える、って謝ったそうだ。彼がそんな風に謝るのは初めてだが、ママも相当頭にきていたので、聞きたくもないと追い返した。それでもう寝ようとすると、ためらいがちなノックが続き、申し訳なさそうにママを呼ぶ声がする。ドアまで行って、近所迷惑だから帰ってと言うと、帰りたいんだけど、財布を落としたらしいと言うので、怒りもなにも消えてしまったという。ドアを開けると上着も着ていないので、きっと店だと思い、電車賃と食事代を渡して返したという。
「今日にでも取りに行くでしょ。」

 ママの言うとおり、早い時間にスガイさんが一人で来た。考えてみれば素面の彼に会うのはこれが初めてで、彼も何となく居心地悪そうにしていたが、ビールが一本空く頃にはだいぶ口が滑らかになってきた。それでも何か言いたげな感じで、なんだろうと思っていると、
「マスターは口が堅いと思うから言うけど、実はあれから――」
 スガイさんの話はママから聞いたものと違っていた。電車賃を持たされて帰ったのではなく、泊めてもらったとスガイさんは言う。そして、男と女がなるようになってしまった。
 朝になってママは、あんただってそんな気はなかったんだろうし、これは成り行きなんだ、わたしも商売やってる以上、変な噂を立てられちゃ困るから、誰にも言わないで、とスガイさんに約束させ、万札を握らされて追い出された。
「まさか口止め料ではないでしょう。」
 わかってる、と言いながら、スガイさんはあんなブスと寝たなんて、誰が言いふらすかとか、顔で商売してるつもりなんて、笑わせるとか、悪口を言った後、
「あんな鬼婆みたいな顔はしてても、心根の優しい奴だとね、いや、前から知っちゃあいたんだが、今回のことでね、っていっても、寝たから情がわいたとかそういうんじゃなくて、いい奴だな、ありがてえなって――なに言ってんだろ、俺。」
 ちゃちゃを入れるときっとひねくれるので、ただ相づちだけ打っていると、
「惚れたんじゃねえんだ。なんつーかなあ。一本刀土俵入りじゃねえが、人の情けが身に染みたっていうか、あいつの期待に応えて、やれば出来るじゃないって、俺って男を見直させてやりたいって思ってね。いっちょうやってやろうか、なんてね。」
 それはいいことだと大賛成し、
「珍しくパソコンを持ってきてると思ったら、いよいよ本格的に小説を――」
 しかしスガイさんは否定し、小説はきっぱり諦めたという。インターネットにもパソコンにもおさらばして、堅気の仕事を探す。人に頭も下げられない、プライドばっかし高いひねくれ者だと言われてきたが、俺だってその気になりゃ、頭も下げられれば、辛抱もできる。そういうところをぜひ見せてやりたい。
「マスターには世話んなったから、お礼と言っちゃなんだけど、俺にはもう必要ねえから。」
と、パソコンを差し出すので、あまりの気の早さに押しとどめ、どうやらそれがママとの喧嘩の原因になったことも気にしているようだったが、今後の仕事で必要になるかもしれないからと収めさせた。
 しかし、仕事は肉体労働だろうと、外回りの仕事だろうと選ばないという。何でもいいから辛抱して、汗水流して稼いだ金で、胸を張って百合に飲みに行く。
と、ここまでは感心して聞いていたが、次のスガイさんの一言に、僕は唖然としてしまった。
「ところでマスター、仕事って、どうやって探せばいいんだ?」
 学生時代から寄席に出入りし、そのまま働きだして三十年。一度として就職活動をしたこともなく、他の世界を覗いたこともないのだから、当然といえば当然だが、履歴書の書き方はおろか、用紙をどこで買えばいいかも知らないとは思わなかった。
 しかしせっかくのやる気をなくさせてはいけないと思い、驚きをおくびにも出さないで、文具屋で用紙を買うこと、写真屋で証明写真を撮ってもらうこと、履歴書の書き方、それからハローワークへ行って相談すること、など説明した。スガイさんはいちいち頷いてメモし、しばらくは顔を出せないけど、と言い、これは百合のママには内緒でと、片手で拝む形をして帰っていった。

 その後、スガイさんから連絡もないので、就職活動をしているか、もしかしたら仕事が決まって、もう働いているのだろうと思っていた。本当に百合にも顔を出さず、ママが電話しても出ないと心配するので、この間電車でばったり会ったが、元気そうだったと嘘をついておいた。
 しかし一月経っても、二月経っても、スガイさんは顔を見せなかった。百合も同様で、さすがに僕も心配になった頃、スガイさんから電話があった。
 どうしていたんですかと聞くと、思った以上に仕事探しが難しく、何度やめようかと思ったが、寄席の上客で昔かわいがってもらった人に頭を下げて、その口利きでようやく決まりそうだ。そして、本来電話なんかで頼むことじゃないんだが、いくらか都合してくれないか、という。もう軍資金が底をついて、これじゃ仕事についても給料日まで持ちそうにない。入ってそうそう前借りもできないので、なんとかお願いできないか。パソコンを担保に預けるから、というので、そういう事情なら、明日用意しておくと答えた。
 翌日スガイさんは元気に入ってきて、後は健康診断だけで、もう決まったようなものだと言った。前祝いに出したビールをうまそうに飲み、彼は早めに引き揚げていった。

 翌週月曜の深夜、べろべろに酔っぱらったスガイさんが、百合のママに連れられてきた。
「マスターにお金借りたんですってね。」
 ママの説明によると、スガイさんはこれまで健康診断なんて受けたことないし、大の医者嫌いで骨折の時と、風邪をこじらせて肺炎を起こした時以外は医者にかかったことがないらしい。たかが健康診断でも、緊張のためか前の晩眠れず、寝酒のつもりがそのまま朝まで。酒臭い息で行くだけは行ったが、血圧が一九〇の一三〇で、素面でもこうなら精密検査を受けた方がいいと嫌味を言われて返された。残ったお金で土日に競馬に行き、一度は破産しかけたが、なんとか借りた分は取り返したと、封筒を渡された。
 ママが話している間、スガイさんは、「へえ、わたしが悪うございました」とか口を挟んでいたが、徐々に静かになり、最後にはカウンターに突っ伏してしまった。スガイさんが潰れるのを見るのは初めてだったが、ママはいっこう気にせず、
「でも、就職活動していたなんてね。わたしがいくら言っても聞かなかったのに、マスターが説得したんですってね。」
 スガイさんのことだから、ママには話を作って聞かせたのだろう。あるいは僕の聞いた話も彼の創作で、つまりは全部作り事、ただ素直に相談できなかっただけかもしれないとも思えてきた。しかし、そんなことをはっきりさせる必要はどこにもない。
「しかし、よくがんばりましたよ。その反動でしょう、こんなに酔っぱらっちゃって−−」
 ママはふふんと笑い、
「寝た振りよ、寝た振り。自分に都合悪くなると、すぐ逃げるんだから。」
 そう言ってスガイさんに肘鉄喰らわしたが、ずるっと横にずれただけで、
「他人の下駄ばかり預かりつけて、自分の下駄は始末がつけられないんだから。」
「お後がよろしいようで」とも言わず、スガイさんは危うい姿勢を保っている。

おわり

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